未だにスポーツ界で「体罰」や「罰走」、「無駄に長い練習時間」や「しごき」が無くならないのは不思議で、それにおいての論拠はなく「観念」だけで判断することがありますが、なぜそのようなことが起きるか?
が少し分かってきました。
暴力根絶
JFA、日本サッカー協会のHPを見ると「暴力根絶」のページがあります。
(http://www.jfa.jp/violence_eradication/)
以前、協会に登録している指導者は「暴力を行わない」という趣旨の誓約書を書いて協会に提出しています。
協会でも「相談窓口」を設けていますので、自分のチームに関わらず、報告することができます。
燃え尽き症候群をなくす
「燃え尽き症候群」とは簡単に言うと、「育成年代で追い込まれるように練習や試合を繰り返すことで『サッカーはもういいや』」など、その年代で「燃え尽きてしまう」ものです。
例えば高校サッカー。
選手を追い込み厳しい練習や試合をすることで、選手がサッカーをやりたくなくなる状態です。
若い世代の選手たちは「高いレベルを目指し」ますが、その先に「サッカーを辞める」のではなく「自分のレベルに応じたサッカーを続ける」のが本来の健全な姿ですが、燃え尽き症候群は後を絶ちません。
僕自身も「高校サッカー」終了後に、「二度とサッカーはしたくない」と思いました。
協会は本気で無くそうとは思っていない
ここで敢えて言いますが、これらを提言しているJFAは「本気でそれを無くそう」とはしていないと僕は感じています。
はっきり言いますと、「暴力根絶」に真剣に取り組む気持ちがありません。
ここまで「事なかれ主義」が進むと、組織の体質に疑問を抱くしかありませんが、まあそんなもんです。
先日、有名高校に行った卒業生とばったり会いましたが、話を聞くと完全に燃え尽きてました。
協会の表向きの意見とは別に、今までの様々な関係性から仕方がないのかもしれません。
指導者が変わっても…無くならない原因…
育成年代の様々な問題が無くならないのは「指導者のレベルが低いから」とずっと思ってきましたが、「なるほど、そう言うことか!」という原因を感じるようになりました。
指導者以外に「暴力や長い練習時間、根性論だけなど」を容認する人がいるということです。
つまり、「体罰を行う指導者」は勿論ダメですが、「それを良しとする関係者」がいれば成立してしまう、ということです。
「なぜ『殴られる』可能性があるのにそこでサッカーをやるのかな?」という疑問は、「殴ってほしいというニーズがある」という帰結に繋がりました。
以前、とあるクラブの監督が「うちのチームは殴るよ。だって保護者が殴ってもいいので厳しくして下さいと言うから」。
別の話では、とあるクラブから移籍したチームのコーチと話していると「保護者が大変なんです」「一日6時間練習させているというのでやめて下さいと諭しているんです」。
なるほどなと思います。
指導者が無知な部分もたくさんあるのですが、「そこにニーズ」があるということ。
これをどのように考えるかは「クラブのフィロソフィー」にも繋がります。