最近感じるのは、僕らの活動する福岡市においてもジュニア年代のチーム数が減ってきたことや、選手の数が減少傾向にあること、そこに不思議さを感じています。
どういうことかと言うと、福岡市のデータによると0歳〜14歳は2005年から増加しており2020年頃をピークに「緩やかに減少傾向」に向かうと記載されています。地域差はあるかもしれませんが、学校には子どもがあふれています。
また、僕らが活動する南区は那珂川市のすぐ隣です。この地域も昨年那珂川町から『市』になりました。
チーム数が減少している、サッカーをやる子どもが減っている、これは福岡市において少子化の問題なのでしょうか。
普及の問題か? 〜先ずは単純な楽しさを〜
これは僕の仮説ですが、もしかしたら『サッカーというスポーツの普及』が上手くいっていない可能性があります。
例えばレアッシの場合は夕方に行なっている「スクールコース」は「普及部門」です。
『先ずは、運動を、そしてサッカーを好きになってもらう』
「上手くなりたい」とか「サッカー選手になりたい」とかいう以前に、「ボールを蹴って楽しい」「友達と身体を動かして楽しい」という気持ちになってもらうのが最初の段階です。
保護者の方もそうだと思いますが、子どもが「サッカーしたい」と言った時に「長続きするかな?」とまず疑問を持つはずです。子どもも「やってみた」という好奇心だけの場合が多いです。
そこでサッカーを始めたばかりの時に、後述する「育成の指導」をしても子はサッカーを好きにはなりません。
この段階では、「育成の指導」はまだ早すぎるのです。
「育成の指導」と「普及の指導」の違い
子どもがサッカーを好きになって、「もっと上手くなりたい」と感じ始めたり、「もっと練習したい」と思い始めたら、そこには「内発的動機づけ」が生まれてきています。
「内発的動機づけ」とは人から言われてではなく、何かの特になるわけでもなく、「自分自身の内側からそうしたいという欲求」が生まれてくることです。
この「内発的動機づけ」が済んだら、次のステップ、いよいよ「サッカー選手を育成する指導」の段階です。
「育成の指導」とはサッカー選手として成長するために、コツコツとテクニック練習をしたり、戦術を学んだり、いわゆるサッカーの指導を受けることです。
最初は『ただ、楽しいだけ』だった段階から、内発的動機づけによる『もっと上手くなりたい』『もっと練習したい』という段階への移行。
ここで質問ですが、次の段階に移行した場合、『楽しさ』とは失われるものでしょうか???
変わるのは『楽しさの質』
最初は、ただボールを蹴るのが楽しい、走り回るのが楽しい、試合をするのが楽しいなど、運動欲求を満たすことや、もしくは低年齢ではコーチと一緒にいるのが楽しい、といった単純なことかもしれません。
そして多くの指導者がミスをするのは次の段階に入った時に、「厳しさ」だけを教えることです。
僕の考えは全く違います。
次の段階では『楽しさの質』が変化するだけです。
どういうことかと言うと、単純な運動欲求を満たすなどの楽しさから、「楽しさの要素が増える」と言うことです。
例えば、「努力したことが報われる楽しさ」「ライバルに打ち勝つ楽しさ」「仲間と協力して何かを達成する楽しさ」「人に認められる楽しさ」「競争する楽しさ」など。
この楽しさを経験してゆく過程で『選手が自立』して行きます。つまり、選手は「サッカーにのめり込んで行くと共に、人間としても成長して行く」のです。
この楽しさが欠落すると「ただ単に勝った負けただけのチーム、選手」になってしまいます。
僕の持論ですが、人間的な成長がないもしくは必要ないと思っている指導者や選手に高いレベルは目指せません。
選手の意識の段階にあった指導を
このように考えると、内発的動機づけができていない選手に高度なサッカー的な要求をすることはナンセンスだし、選手の成長段階に応じた指導を行わなければならないことは明白です。
もし、クラブにまだサッカーを楽しみたいだけの選手が入ってきた時に無理なことをさせたり、もしくは外から見てそう見えると選手はサッカーをやろうとは思わないでしょうね。
福岡市、その近郊は子どもたちはたくさんいるので、しっかりと普及の部分に取り組まなければサッカー人口が減少するだけです。
レアッシでも、もっともっとサッカーファンを広げるためにも、普及活動に積極的に取り組んでいきたいと思います。